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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)4936号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 大川育子

被告 乙山春子

右訴訟代理人弁護士 川村武郎

主文

一  被告は、原告に対し金二〇〇万円及びこれに対する昭和五五年五月二三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五五年五月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和四〇年二月一四日訴外甲野太郎(以下「太郎」という。)と東京都世田谷区の下北沢の頌栄教会で結婚式を挙げ、同年四月二六日婚姻の届出をした。

原告と太郎とは共にクリスチャンであり、教会で知り合い恋愛し、五、六年交際した後に結婚したもので、原告と太郎との婚姻生活は現在まで一八年間継続しているが、子供はいない。

2  原告らの婚姻生活は人もうらやむ仲睦まじさであり、お互いに理解し合い理想的な夫婦であった。

夫婦間の信頼関係は厚く、特に原告は、夫太郎を信じ切って、夫に対し仕事の面でも異性関係でも何の疑いももっていなかった。

3  訴外太郎は昭和三九年法政大学経営学部を卒業し、市場調査の仕事にたずさわっているが、非常に有能で真面目な人柄であり、周囲の信頼も厚く、特に女性関係の問題を引起す心配は全くないと原告自身も信じており、また周囲の者もこの点に関しては疑いをもっていなかった。

実際のところ、被告との問題が発覚するまでに、太郎が女性問題を引起したことは皆無であった。

4  被告は、以前太郎が勤務していた戊田研究所(後の甲田研究所)に事務員として勤務していた。

5  太郎は、乙川広告社からのたっての要請で、それまで五、六年程いた戊田研究所を退社し、昭和四六年三月に異例の好待遇で入社した。

太郎が戊田研究所に勤務している時からそうであったが、被告は頻繁に原告宅に電話をかけてきては太郎を呼び出していた。被告からの電話は、太郎が乙川広告社に移ってからも続いており、昭和五〇年ごろ、原告は不審に思い、太郎に被告が何で度々電話してくるのか尋ねたところ、太郎は、被告が会社を辞めようかどうか悩んでいて、その相談にのっているという返事であった。

原告は、被告が原告がいるにもかかわらず、無神経にも執拗に原告宅に電話をかけてくるのが不愉快になっていたし、太郎の言が信じられず、戊田研究所に電話をしたところ、被告が同社を二、三年前に退職している事実が判明した。この時点で太郎がうそを云っていることが分かり、原告は太郎と被告が付合っていることを確信した。

6  原告は、戊田研究所で被告の住所と電話番号をきき、昭和五〇年六月頃、被告宅に電話して、被告と太郎がつき合っているかどうか問い質したところ、被告は「つき合っていない。」と答えた。ところが赤ん坊の泣き声が聞えたので、もしかして太郎の子供ではないかと疑いをもちながら、原告は被告に対し「御結婚なさったのですか。」と尋ねたところ、被告は「そうです。」と答えたのである。

7  ところが、その後も被告は以前にも増して原告宅に執拗に電話をかけてきて、その態度は、次第に原告に対し挑戦的になってきた。

そして昭和五四年七月下旬原告が母親の供養のため箱根に灯籠流しに行って帰ってきた後、被告から原告宅に電話があり、被告は原告に、原告が箱根に行っている間に太郎に会った旨を伝えた。原告は、太郎が留守である旨答えたところ、被告は原告の言葉を信じようとせず、「お父さんを出してくれ、」「パパを出してくれ。」等と電話で叫んだのである。

8  とっさに、原告はすべての事情を察し、母親同様に慕っていた丁原のもとに駆けつけ、丁原に泣いて訴え、自分の疑いが現実になったショックから車に飛び込んで自殺を計ろうとして、やっと丁原から抱きとめられて事なきを得たのである。

9  原告は、訴外丁原に頼んで昭和五四年七月二六日東久留米市役所で戸籍謄本をとってもらい、前記の子供が太郎の子供として、昭和四八年一二月二四日、すでに太郎によって認知されていることをはじめて知ったのである。

10  原告は、以前子供を二度流産しており、子供に恵まれていないため、太郎の裏切りと子供の存在を知り、自分の人生は終ったと思った。

11  失意の原告に対し、被告はなおも追い討ちをかけるように、「甲野御夫妻殿、認知の子より」と書いた大型の茶封筒を原告宅の表玄関に張り付けておくなどのいやがらせをするのである。なかには藁半紙一杯に大きな文字がマジックで「パパ(三号棟三〇五甲野さん)ママを泣かさないで、パパと一緒になるのを信じて五年間も待っていたのよ、養育費ももらわないで、ママを欺さないでね、認知の子より」と書いた紙が六枚も入っており、同封されてきた手紙には「甲野御夫妻殿」の宛名書きで「調停云々もありますが、……私の性分には合いませんので、私なりの合法的に社会的に追及致します。……同封(別紙)の物見て戴けば判ります。これはほんの壱例です。第壱回は3号棟周辺に配布掲示致します。第2回は全団地内に同様です、第3回は取引先会社に右同様です……」云々と脅迫が続き、最後に「私共を甘く見てかかると大変な「ヤケド」をしますよ、念のため、」と結んであった。

以上のように、被告は原告に詫びるどころか、原告に対し、数々のいやがらせ、脅迫をなし、原告と太郎を何んとか離婚に追い込もうと必死なのである。

12  その後、昭和五四年八月頃、原告は太郎と相談し、丁原と原告夫婦の仲人である牧師さんと太郎の兄を交え今後のことについて被告と話合おうとしたが、被告は、原告に謝る必要はないと全く反省の色がみえず、話合いは決裂してしまったものである。

その後の苦しみは、昼夜を分たず続き、いっ時として心の安まる時はなかった。同じことを何回も何回も胴々めぐりで思い悩み、自分が生きているのが不思議な程、無気力な毎日であった。被告が、原告に与えた精神的な苦痛は筆舌に尽せない程である。

13  被告は、太郎に妻があるのを熟知しながら、あえて太郎を誘惑し、その後も同人と肉体関係を継続し、ついには妊娠するに至り、更に太郎の意思に反して夏子を出産し、あまつさえ原告の家庭生活に執拗に介入し、原告に筆舌に尽しがたい精神的苦痛を与え、かつ、原告の家庭生活、夫婦生活を破壊状態に陥らしめ、ひいては原告の人生を絶望の淵に追いやったものである。

かかる被告の行動は、原告の太郎に対する貞操を要求する権利を侵害し、幸福、円満な家庭生活を破壊させた不法行為であり、原告の被った精神的苦痛は甚大である。この精神的苦痛を慰謝するには金一〇〇〇万円が相当である。

14  よって原告は被告に対し右不法行為による慰謝料一〇〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五五年五月二三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因事実1項中原告と太郎が戸籍上の夫婦であること及び子供がいないことは認め、その余は知らない。

2  同2項は知らない。

3  同3項は知らない。

4  同4項は認める。

5  同5項は知らない。

6  同6項中電話があったことは認めるが、その余は知らない。

7  同7項中電話をかけたことは認めるが、その余は知らない。

8  同8項は知らない。

9  同9項中被告の子が認知されていることは認め、その余は知らない。

10  同10項は知らない。

11  同11項は否認する。

12  同12項中話合いの機会がもたれたことは認め、その余は争う。

13  同13項は争う。

三  被告の主張

1  昭和四六年太郎は、甲田研究所を退社したが、退社後も勤務先或いは自宅へ電話をかけ被告を呼び出すことがしばしばあり喫茶店などで会っていた。しかし特別の感情も関係もあるわけではなく、話題も研究所のこと仕事のことなどであった。かような経過のなかで昭和四七年七月ごろ太郎に呼び出され、被告の同僚の者(男)と三名で飲みに行くことになった。被告は三名であるため気を許しているうちに相当酔い、もうろうたる状態となった。その後、気がついた時には新宿のホテルの一室で太郎と性交渉をもっている状態であった。なお翌朝気がついたことであるが、当日被告の着ていたブラウスの背中は大きく破れていた。

その後太郎は電話をかけてくるなどし、被告は誘いを断ることが精神的にもできず関係が続き、昭和四八年二月には妊娠した。この間被告が積極的に太郎に誘いをかけたことはない。

2  妊娠した直後いうまでもなく太郎にその旨を告げた。同人は出産するよう強くすすめ、被告も決心し出産することにふみきることにした。

しかし従来どおり勤務を続けることはできないため退職し、また家族からも縁を切られ同年一一月長女夏子を出産した。なお出産後被告は太郎より経済的な援助を受けていないため、ヤクルトの配達、保険会社の外交、会社員を経て現在洋菓子材料卸店に勤務し、夏子を独力で育てている。

3  出産後も太郎との関係は続いた。ところが昭和四九年五月ごろ太郎の連絡がなくなった時があった。心配となり太郎宅へ電話をかけたことがあったが通じても話をしないうちにすぐ電話が切れてしまう状態であった。その後太郎が被告を訪ね「原告が電話をかけてくる。自分とのことを聞かれても黙っていろ。」と伝えた。数日後原告は被告に電話をかけてきた。被告は太郎にいわれたとおり答えたが、夏子が泣き出し、被告から「結婚したのですか。」と尋ねられ、「結婚した。」と答えた。すると直ちに原告から結婚したのであれば何故姓が変らないのかと詰問され、被告は絶句してしまった。原告は二、三日後に訪ねるといった後に電話を切った。

翌日太郎が来宅した。同人に電話のことを話すとすべての事実を原告が知ったが、何らかの形で原告と太郎間で話がついたものらしく、原告のことはもう考えなくとも良い、とのことであった。原告も訪ねてはこなかった。

4  右の出来事の後は被告と太郎との関係は時折同人が訪ねてくるなど淡々とした形で経過した。しかし太郎に自宅へ電話をかけることは厳重に禁止されていた。けれども万一夏子が急病の時など困るので太郎に連絡をしてくれる人を一名見つけてほしい旨懇願していた。ところが同人はその希望をかなえてくれなかったため、昭和五四年七月太郎宅へ電話をかけた。その電話には原告が出た。原告はあなたとは話したくないなどといって太郎に電話をとりつぐことはしなかった。その後原告は被告宅を訪ね、被告をひっぱたいたり、年端もいかない夏子に様々の聞くにたえないことを話したり、被告に対してはひわいな言葉をはいたりする行動をとるようになった。かような経過のなかで同年八月被告は太郎と別れる決意をし、その旨を同人に伝えるとともに夏子の将来について話をしたいことを希望したが、その話合いもできず今日に至っている。

5  本件のような関係が生じた責任は挙げて酔った被告を旅館に連れ込んで性交渉をもった太郎にある。全く男関係のなかった女性がこのような関係を生じさせられた後誘いを断わることは事実上不可能であって、被告には過失がないというべきである。

6  また、原告と太郎とはその後仲がこわれることもなく離婚もせず平穏な夫婦関係を続けている。従ってそもそも本件請求の前提となる家庭生活、夫婦生活破壊の事実がないというべきで原告の主張は理由がない。

四  抗弁

原告が事実のすべてを知ったのは昭和四九年五月のことである。知った以上その時に精神的苦痛が生じたもので、原告の主張する慰謝料請求権が生じたものである。よって本訴提起までに三年の時効期間が満了している。被告は右消滅時効を援用する。

五  抗弁に対する認否

原告が、被告と太郎の関係を知ったのは昭和五四年七月であり、被告の抗弁を争う。

第三証拠《省略》

理由

一  原告と太郎が戸籍上の夫婦であること及び両者間には子供がいないこと、被告が以前太郎が勤務していた戊田研究所に事務員として勤務していたこと、被告の子夏子が太郎により認知されていること、昭和五四年八月ごろ原告、太郎に太郎の兄らが加って被告と話合おうとしたことは当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》を総合すると次の事実が認められる。

1  太郎は、昭和三九年法政大学経営学部を卒業し、市場調査の仕事に従事している。

2  原告と太郎との婚姻生活は、本件発覚まで信頼関係の厚い関係で維持されていた。

3  太郎は、昭和四六年三月まで戊田研究所に勤務していたが、同社の事務員であった被告とはセクションも異なり通常のつき合いはなかったが、同じ石川県出身者同志ということで口を聞くことがあった。

4  昭和四六年太郎は退社したが、退社後も太郎と被告は喫茶店などで会い、研究所のこと、仕事のことを話題にしていた。

5  昭和四七年七月ごろ被告の同僚で太郎とも親しい星山某と三名で飲みに行った。場所は新宿であったが被告は三名であるため気を許しているうちに相当酔い、もうろうたる状態となった。

そこで太郎は被告を自宅までタクシーで送って行ったが、当時太郎は被告の住居を知らなかったため、被告の指定した阿佐ヶ谷駅で被告のいうがままタクシーを降りた。被告は依然としてかなり酔っており、自分の自宅が何処であるかをいえず、一時間位その辺りを歩き廻ったが結局分からず、また被告は酔っているため道路で転んだり、電柱にぶつかったりするうち、洋服を電柱に引っかけて破ったりした。

太郎は、電車もなくなり、被告を衣服の破れたまま放置しておくこともできず、タクシーで新宿に帰り、新宿のホテルに仮宿したが、その際太郎は被告と性交渉をもつに至った。

6  その後太郎と被告は、関係をお互いに断ち切れずに続けるうち、被告は昭和四八年三月ごろ妊娠に気付いた。妊娠に気付いた直後、被告は太郎にその旨を告げたところ、太郎は驚き、堕胎するようにすすめた。しかし被告としては堕胎することには踏み切れず、勤務先も退社して出産することとし、同年一一月長女夏子を出産した。

7  出産後も被告と太郎との関係は続いた。ところが昭和五〇年五月ごろ太郎から被告への連絡が途切れたことがあった。被告は心配となり原告(太郎)宅へ数回電話をかけた。被告からの電話に不審を抱いた原告は太郎に理由を尋ねたが「仕事上のことで会社をやめたいという相談を受けているので電話があったのだ。」といわれて一応納得した。

そのころ太郎が被告を訪ねてきたとき「原告が電話をかけてくる。自分のことをきかれても黙っていろ。」と伝えた。

8  太郎の説明になお不審を抱いた原告は、戊田研究所で被告の住所と電話番号をきき、昭和五〇年六月ごろ被告宅に電話をして被告と太郎がつき合っているかどうか問い質したところ、被告は「つき合っていない。」と答えた。ところが被告宅で夏子が泣き出し、原告はもしかして太郎の子でないか疑いをもって「御結婚なさったのですか。」と尋ねたところ、被告は「結婚しました。」と答えた。そこで原告は、「結婚したのであれば、何如性が変らないのですか。」と尋ねたが、これに対しては被告は明確な返事をしなかった。

9  その後被告と太郎との関係は、同人が時折訪ねてくることで経過していったが、太郎から被告が原告宅へ電話をかけることは厳重に止められていた。

10  被告は、太郎に夏子のことなどで問題があったときに連絡のつくところを作ってくれと申し入れていたが、太郎が仲々応じようとしないので、昭和五四年七月原告宅に電話をしたところ、原告は太郎が留守であると答えたため、被告は、原告の言葉を信じようとせず、「お父さんを出してくれ。」「パパを出してくれ。」と叫んだ。

11  異状な事情を察した原告は、その夜一一時ごろ母親同様に慕っている訴外丁原竹子のもとにかけつけ、丁原に泣いて事情を訴え、また走行中の自動車に飛び込んで自殺をしようとして丁原に止められた。

12  原告は右丁原に頼んで昭和五四年七月二六日東久留米市役所で戸籍謄本をとってもらったところ、被告の娘夏子が昭和四八年一二月二四日太郎によって認知されていることを知った。

13  その直後、原告は被告宅を訪ね、被告に対し「セックスフレンド!」とののしり、夏子に向って「あなたのママは、あなたに人にうそをついてはいけない、人を泣かせてはいけない、人のものをとってはいけないというでしょう。あなたのママはおじちゃんをとっておばちゃんをいじめて悲しませてばかりいるのよ。」といったりした。また、その場で被告から「あなたが離婚しないから結婚できない。」といわれたことから原告は被告の頬をなぐった。

14  その後のことであるが、被告の叔父の丙川松夫が太郎と話をしようと電話をかけたが、切られてしまったことから原告宅の表玄関ドアに「甲野御夫妻殿、認知の子より」と書いた大型の茶封筒を張りつけ、なかに「パパ(三号棟三〇五甲野さん)ママを泣かさないで、パパと一緒になるのを信じて五年間も待っていたのよ、養育費ももらわないで、ママを欺さないでね、認知の子より」という趣旨を書いた紙六枚を入れ、さらに手紙に「甲野御夫妻殿」の宛名書きで「先日話合いに伺ったのにあの態度又先日の電話の応待と考へ合せ貴殿には話合いの意思が全くないものと受とります。……調停伝々もありますが解決まで気が遠くなる年月を要しますので私の性分には合いませんので、私なりの合法的に貴殿を社会的に追及致します。……第壱回は三号棟周辺に配布掲示致します。第2回は全団地内に同様です、第3回は取引先会社に右同様です……」と書き、最後に「私共を甘くみてかかると大変な「ヤケド」をしますよ、念のため」と結んで同封した。

15  昭和五四年八月ごろ原告は前記丁原と原告夫婦の仲人である牧師田海梅夫、太郎の兄の立会いで、太郎と被告との話合いをもったが、その話合いは決裂し、被告は成行上「迷惑はかけません、私は自分で子供を育てていくんですからいいんです。なんにも要りません。」といって別れた。

16  本件が露呈してからの原告と太郎との関係は冷え切った状態にある。

17  被告は、現在太郎から経済的援助が得られないため、ヤクルトの配達、保険会社の外交、会社員等をして夏子を独力で育てている。

以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

右の事実によれば、被告は、太郎との関係を少なくとも数年間にわたって継続させ、それが原告と太郎との婚姻継続中であったことは被告もこれを知悉していたことが明らかであり、このような被告の行為は、事の性質上感情的にどちらが積極的であったか否かを問うことなく、原告の太郎との婚姻生活上の権利を違法に侵害するものというべく、不法行為を構成するものと解するのが相当である。

三  前記認定の事実によれば、原告は、被告の本件不法行為により多大の精神的苦痛を受けるに至ったことは容易に推認できるが、本件の前記認定の諸事情を勘案すれば、被告は原告に対し二〇〇万円の支払をもって慰謝するのが相当である。

四  被告は、原告が昭和四九年五月すでに太郎と被告との関係を知っていたから請求権は時効消滅したと主張する。しかし前記認定事実からも原告が慰謝料を請求できる事実としての内容を知ったのは、昭和五四年七月末と認めるのが相当であり、本訴提起が昭和五五年五月一五日であることが記録上明らかであるから、被告の右主張は採用できない。

五  以上によれば、原告の本訴請求中金二〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五五年五月二三日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鎌田泰輝)

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